大川端だより(6)

今の大阪城天守閣)は三代目である。初代は豊臣秀吉天正13年(1585)ごろ造ったものらしいが、元和元年(1615年)の大坂夏の陣で炎上。二代目は、夏の陣の数年後に11年もかけて徳川幕府が大改築したものだが、これも第四代将軍・家綱の時代に落雷で焼け落ち、明治維新の際にも再び戦火にさらされ消失。そのときからずっと大阪城天守閣はなかったが、昭和天皇即位の際に大阪市が記念事業として再興を計画。しかし、世界的な大不況のため税金で賄うことができず、昭和3年(1928)に全て大阪市民の寄付で再建されたのが三代目の今の大阪城である。大阪は、歴史的に見ても商人・市民の町であり、多くの橋や中央公会堂なども市民の手で建設されている。今回の「天満天神繁昌亭」の建設も市民や企業からの多くの浄財で賄われたものであり、このことは大阪人が誇ってもエエことやないやろか。最近は誇れるものがあんまりないから、とくにそう思う。(写真は、源八橋から見た大阪城)