市民ライターと市民記者


市民ライターと市民記者。両者の違いは、ライターと記者の違いである。でも、この違いは大きいかもしれない。


というのは、記者といえばどうしても新聞や雑誌の記者を思い浮かべ、その人たちの書くものといえば、“記事”つまり、新聞や雑誌のニュース記事やレポートなどを想像してしまう。行政の広報誌やホームページ、またインターネット新聞に寄稿する市民のことを「市民記者」と呼ぶのはこのためであろう。


しかし、ぼくらが提唱する「市民ライター」というコンセプトは、“記事”ばかりではなく、エッセイや小説、映画評・音楽評など、全ての事象についての評論・論文、日記風のメッセージなど、あらゆることをブログやメルマガなどの自発媒体で書き、社会に向かって発信する人たちのことである。


つまり、市民ライターは市民記者よりも上位概念だと言ってもよい。


市民ライターは、世界中で日々増え続けているが、これからますます加速度を増していくに違いない。そして、ものすごく裾野の広い「宝の山」になる可能性を秘めている。


裾野が広いほど高い山であることは間違いないから、この山の高みは相当レベルの高い情報・作品を創出するはずである。


そして、それら質の高い情報・作品、独自の情報・作品を的確に発見する検索エンジンとデータベースの進化によって、クオリティ以外の要素、すなわち資金、技術力、人材を持たずとも、世の中で認められる市民ライターが増えてくるだろう。